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東京地方裁判所 昭和35年(行)73号 判決

原告 籾山辰男

被告 東京法務局長

訴訟代理人 館忠彦 外一名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は、「被告が原告に対し東京法務局昭和三二年登異第六号事件について昭和三三年二月三日付でなした決定はこれを取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」三の判決を求め、その請求の原因として次のとおり述べた。

一、原告所有の別紙目録記載の不動産につき、原告を登記義務者とし、東京都編物商工業協同組合を登記権利者とする売買による所有権移転登記の申請がなされ、右申請書に添付された登記義務者たる原告の委任状は委任事項たる「左記不動産に対し王子信用金庫に担保設定に関する一切の件」との記載が、委任状上欄の空日に押捺された原告のいわゆる捨印を利用して全部削除され、右記載に代えて、「後記物件を昭和三十二年十月十二日金三十四万九千五百十二円をもつて東京都編物商工業協同組合に売渡したので所有権移転登記を申請する一切の件」との記載がなされていたが、登記官吏は、昭和三二年一〇月一九日東京法務局北出張所受付第二六五一六号をもつて右申請を受理し、右訴外協同組合所有名義に所有権移転登記の登記を完了した。

二、しかし原告は、訴外組合に対する所有権移転登記申請について委任したことはまつたくなく、ただ、訴外組合の求めにより、同組合が訴外王子信用金庫に対し有する債務につき同信用金庫のために担保権を設定するため、同年同月一二日頃、本件不動産に対し王子信用金庫に担保設定に関する一切の件を委任する旨の記載ある委任状に署名捺印しこれを訴外組合の理事梅岡敏次に交付したことがあるにすぎないところ、梅岡は、右委任状の上欄にたまたま押捺されてある原告の捨印を悪用し、ほしいままに右委任事項を全部抹消削除して、後部余白に新たに、本件物件を昭和三十二年十月十二日金三十四万九千五百十二円をもつて東京都編物商工業協同組合に売渡したので所有権移転登記を申請する一切の件を委任する旨記載し、もつて当初の委任の内容をほしいまゝに全く改変し、これが添付されて前記登記申請がなされたものである。

右のように、原告の委任状は訴外梅岡においてほしいままに全くその委任の内容を改変したものであるが、この点はしばらく措き、登記官吏としては、その有する審査権限の範囲内においても、本件登記申請が次の諸点において形式的要件を欠くものとしてこれを却下すべきものである。

(一)  登記官吏は、登記申請に必要な手続上の条件が具備しているか否かについて、提出された書類のみに基き形式的に調査し該申請の受否を判断すべきものとされているから、いきおい形式的な取扱になり易いことは当然のことであろうが、だからといつて、本件委任状のように、委任の内容が全く改変されていて、しかも書面の形式から判断しても、およそ捨印で改変されたものであろうことが常識的にも判断される場合であるのにも、上欄に訂正削除の字数が記載され委任者の押印がある以上形式的に完備した委任状であると認めることは、登記申請手続の実態を知悉する登記官吏の常識として是認されることではない。けだし、登記申請の委任状には一個や二個の捨印が無造作に押されていることは周知の事実であるが、これはおそらく、委任状の記載事項に本旨を変えない程度の瑕疵があつた場合に、その捺印によつて登記申請の即日補正を可能ならしめ、もつて登記の即日完了を希つてのことと考えられるのであり、したがつてこのような補正的役割を果す目的での捨印が、本件委任状の改変のような重大な事態を惹起しようとは誰しも想像しないからのことである(かりに捨印によつて委任状の内容が大巾に改変されるようなことがあつたとしても、まさかそのような委任状では登記の申請は受理されないであろうからとの、登記所の事務処理に対する信頼性が深いところから、無造作に捨印が押されているのである。)。すなわち、換言すれば委任状の内容を全面的に改変した場合には、改変した委任状は回収し新たな委任状を作成交付するのが通例であり、もし何かの都合で前の委任状を改変して使用するとすれば、誰が見てもその改変の事実を容易に確認できるよう、当該抹消に係る部分上に押印する等して、改変の事項を明確にした訂正の方法を講ずるのが一般人の常識というべきだからである。したがつて、本件のような方法書式によつて、捺印をもつて委任の内容を全面的に改変した委任状による登記の申請は、右委任状が形式的にも代理権限を証する書面とは認められないものとして、不動産登記法(昭和三五年法律第一四号による改正前のもの。以下不登法と略称する。)第四九条第八号によりこれを却下すべきである。

(二)  のみならず、本件登記申請書及び添付書類を仔細に検討すれば、次のような形式的瑕疵があることが明らかである。

(1)  登記権利者の表示は、登記義務者の委任状においては、相手万として東京都編物商工業協同組合とされているのに、登記申請書では東京編物商工業協同組合とされており、これは不登法第四九条第七号「申請書に掲げた事項が登記原因を証する書面と符合しないとき」に該る。

(2)  登記申請書には、添付書類として評価証明書一通と記載があるのに、実際に添付されたのは、固定資産課税台帳登録証明申請書であつて、両者は字句の上で符号しない。

(3)  申請書に記載の不動産価格は百二十四万三十円であるのに、添付にかかる固定資産課税台帳登録証明申請書(証明書)では百二十四万二十九円となつている。

(4)  委任状は、「一、拙者所有左の不動産に対し王子信用金庫に担保設定に関する一切の件」との記載を全部朱抹したものであるが、右朱抹にかかる字数は、いわゆる読点(「、」)をも含めて三三字となるにかかわらず、上欄捨印の横には、三二字削除と記載されてあるにすぎないから、字数が不正確であり、したがつて右全部を抹消したことにならないばかりでなく、そもそも該捨印は、委任状を一見すればわかるとおり、後に書き加えた委任事項にかかる一字訂正で、すでにその用を果し終つていることが明らかであるから、前記抹消部分については、それに対する削除印が結局施されていないわけで、したがつてこの点からも右抹消は形式上適法になされていないわけである。

以上要するに本件登記申請は、不登法第四九条第二号、第四号、第七号、第八号に該当する場合としてこれを却下すべきものである。

四、よつて原告は、昭和三二年二月一〇日付で被告に対し、前記東京法務局北出張所登記官吏のした登記処分につき異議の申立をしたところ、被告は東京法務局昭和三二年登異第六号、事件として審理のうえ昭和三三年二月三日付で原告の異議申立を棄却する決定をし、右決定は昭和三五年三月三〇日に至り原告に送達された。

五、しかしながら、登記官吏が、形式的要件を具備しない登記申請を違法に受理して登記をしたときは、登記官吏においてこれを抹消すべきものであるから、被告が原告の異議申立を棄却する決定をしたことは違法である。よつて本訴において被告の右決定の取消を求める。

被告指定代理人は、主文と同旨の判決を求め、答弁及び被告の主張として次のとおり述べた。

一、請求原因第一項のうち、本件不動産につき原告主張のような所有権移転登記申請がなされ、登記官吏がその申請を受理し登記を完了したこと、本件登記申請に添付された原告の委任状の委任事項が委任者の印により原告主張のように訂正されていたことは認める。ただし、本件登記申請における登記権利者は、東京編物商工業協同組合である。同第二、第三項及び第五項は争い、同第四項の事実は認める。

二、不登法は、登記官吏の審査権につきいわゆる形式主義を採り、登記官吏に対し登記申請が一定の形式要件を具備するか否かを審査する権限のみを付与していることは同法第四九条の規定により明らかであつて、登記官吏は、登記申請が同条各号に該当する場合の外は申請を却下できないのである。故に申請書添付の委任状の記載が訂正されたものであつても、それが真実登記義務者において訂正したものかどうかの実質関係について審査する権限なく、したがつて登記官吏な、登記申請が書面上形式要件を完備した適法な申請であると認めたなら、これを受理し登記を完結すべきものであるから、登記官吏のなした本件登記処分にはなんら違法はないといわざるをえない。

立証〈省略〉

理由

一、原告所有の本件不動産につき、原告を登記義務者とし、東京編物商工業協同組合を登記権利者とする(この点については争があるが、成立に争のない甲第一四号証(東京編物商工業協同組合の登記簿抄本)によつてこれを認める。)売買による所有権移転登記の申請がなされ、登記官吏が、昭和三二年一〇月一九日東京法務局北出張所受付第二六五一六号をもつて右申請を受理し、東京編物商工業協同組合所有名義の登記を完了したこと原告が同年一二月一〇日付で被告に対し、右北出張所登記官吏のした登記処分につき異議の申立をしたところ、被告が東京法務局昭和三二年登異第六号事件として審理のうえ昭和三三年二月三日付で原告の異議申立を棄却する旨の決定をし、右決定が昭和三五年三月三〇日に至り原告に送達されたこと、はいずれも当事者間に争がない。

二、そして、甲第一〇号証(委任状)によれば、本件登記申請に添付された登記義務者たる原告の委任状には原告主張のような委任事項の訂正削除がなされ、かつ上欄には訂正削除の字数が記載され原告の押印が施されていることが認められる一方、書面上の記載の体裁からすれば右原告の押印はいわゆる捨印として押捺されたもので、右委任事項の削除は右捨印を利用してなされたものであろうことが容易に推認される。そこで、いまもし、右上欄記載の削除の字数が実際削除にかかる字数と一字だけ喰違う点、及び原告の押印が削除にかかる部分に対応するものと見得るかどうか疑問である点、を度外視すれば、本件委任状は、形式上は格別の不備なく委任事項の削除訂正がなされているものと一応はいいうるであろう。しかし原告も主張するように、登記申請の委任状には委任者のいわゆる捨印が比較的無造作に押捺されるものであることは顕著な事実であり、このような捨印は、委任状の記載に本旨を変えない程度の瑕疵があつた場合にその捨印を利用して瑕疵の即日補正を可能ならしめもつて登記の即日完了(不登法第四九条但書)をはかるといういわば補正的役割を果させる目的で押捺されるものにすぎないと考えられるから、本件委任状の記載のように、当初の委任事項たる「左記不動産に対し王子信用金庫に担保設定に関する一切の件」なる記載が捨印を利用して全部抹消され、登記権利者の点においても登記事項の点においても全く異なる「後記物件を…東京都編物商工業協同組合に売渡したので所有権移転登記を申請する一切の件」との記載に改められているような場合には、右記載の訂正が委任者の署名と同一筆蹟によるものであることが明瞭に看取できる等の特段の事情のない限り、委任者の意思に基くものとは認め難い訂正としてこれを取扱うのが相当であると考える。けだし、委任者として第三者による捨印の悪用を防ぐためにも、少くとも本件委任状にみられるような委任内容の全面的改変をしようとするときは、該委任状を回収して新たな委任状を作成交付するか、そうでなくとも当該抹消にかかる部分上に押印を施して委任者の意思を明確にするかの方法を講ずることを委任者に当然期待してしかるべきものでありまた実際上も一般にそのような方法が講ぜられているものと考えられるからである。そして、本件委任状の記載の訂正が委任者たる原告の署名と同一筆蹟によるものと明瞭に看取しうる場合でないことは、前顕甲第一〇号証からして明らかである。してみれば、右に述べたような捨印に関する経験則ないし実情を知悉しているものと考えられる登記官吏としては、本件委任状がその記載自体からも真正な委任状(委任者の意思に基き作成されたもの)とは認め難いものとして、不登法第四九条第八号により本件登記申請を却下すべきであつたというべきである。

三、しかしながら、原告は右のような場合には不登法第一五〇条以下に規定された異議の申立をすることによつて該登記の抹消を求め得ると主張するものと解せられるが、要件を具備しない登記申請を登記官吏において却下すべきことと、かかる登記申請を登記官吏が誤つて受理しこれを登記したときその登記を無効として抹消すべきこととは別個の問題に属する。そして、不登法第四九条第一号、第二号に該当する場合には登記申請の瑕疵は本質的であつて治癒し得ないものであり、したがつてかかる場合もし誤つて登記されてもその登記は法律上当然無効というべきであるが、第三号以下に該当する場合においては、たとえ申請手続に瑕疵があつたにせよ一旦登記官吏がそれを受理して登記を完了した以上はその登記は当然には無効と目すべきものではない。けだし、登記官吏が登記申請を受理すべきか否かを審査するにはいわゆる形式主義をもつて臨むべきこととされており、申請に手続的瑕疵があつても事実上登記がなされてしまつた後は、当該登記の有効、無効は前述の、登記が法律上当然無効とされる場合を除き手続的瑕疵その一ものだけを理由に無効と解すべきではないからである。すなわち、いわば申請の瑕疵は治癒され、ただ瑕疵ある登記申請に基いてなされた登記が実体上の権利関係に合致しない場合においてのみ、実体的有効要件を具備しないものとして無効及び抹消の問題を生ずるのである。ところが登記官吏は登記申請にあたつて形式的審査権限を行使しうるにすぎず、申請手続に瑕疵あるにせよ一旦登記されたときは、登記後の現在においてその登記が果して実体的権利関係に合致するか否かについてもはや審査の権限を有し得ない。したがつて、もし利害関係人の間にその登記が実体的権利関係に合致しないとして争が生じこれを理由にその抹消を求めようとするときは、訴を提起して当該登記権利者に既判力の及ぶ判決を求めるほかに解決の方法はないのである。換言すれば、前述の登記の当然無効の場合を除き、一旦登記のなされた以上たとえ申請手続に瑕疵があつたにせよ、なされた登記の有効、無効の審査は全く登記官吏の権限外のことなるのであり、したがつてこの場合、もはや不登法第一五〇条以下に規定する登記官吏の処分に対する異議をもつて当該登記の抹消を求めることは許されないものと解する。このように解するとき、右異議は前述の登記の当然無効の場合においてのみ申立て得るにすぎないといわざるをえない(不登法第一五〇条以以下の異議の規定、とくに第一五三条第二項後段の規定の文理からすれば、第四九条第三号以下の瑕疵ある場合も既になされた登記の抹消を求め得るかにみえるのであるが、しかしこれを是認することは、結局第四九条全体を登記の有効要件とすることを意味し、登記制度を余りに硬直なものとすることであるから、このような登記制度全体のあり方からみて、右のことは結局是認できないといわざるをえない。又、登記抹消の外にも、本件のように登記官吏の不当な取扱により損害を蒙つた者に対する救済の方法が考慮さるべきであろうが、前記第一五〇条による異議の申立がこれに当るとは考えられないので、原告の右趣旨とも見られる本件異議の申立も亦許されないものといわざるをえない)。そして本件の場合、申請手続の瑕疵は、前述のとおり不登法第四九条第八号に関するものであり、原告の主張するその余の瑕疵についてみても、少くともそれらはすべて同条第一号、第二号に関するものではないのであるから(原告は第二号にも該ると主張しているが、同号は、申請にかかる登記事項が、登記法自体の要請として、又は実体法からして、およそ登記すべからざる事項であることが申請の趣旨目体において明らかな場合をいうのであるから、本件がそれに該らないことは明らかである。)右に述べたところにより、前記法案による異議申立により登記の抹消を求めることは許されないというべきである。(したがつて原告としては、登記権利者に既判力の及ぶ判決を得て登記の抹消を図るか、そうでなければ、登記官吏に過失あることを主張して自己の蒙つた損害につき国家賠償法により損害賠償の請求をするかしか万法がないわけである。)。

以上のとおり、原告の本訴請求は理由がないから失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石田哲一 下門祥人 桜井敏雄)

目録〈省略〉

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